連載メニュー

藤田優一君の街角ワンショット

    vol.79 カギ型の道が伝える「小杉御殿町」の由来

    2021/09/15

    • 見事なまでに見通しが悪いカーブがここ!

    • 徳川将軍小杉御殿の石碑もチェック。

      暑い夏から秋へ…引き続きコロナ対策には力を入れなければいけませんね。ワタクシのリポートや取材も感染対策をしっかり行って実施していますよ。
     さて今回は川崎市中原区の「小杉御殿町」をピックアップ!武蔵小杉駅から北に10分ほど歩いたエリアで、等々力緑地や多摩川も近くにある町名です。でも、なんで御殿という名称が付いているのか?実はここ、徳川将軍家の「小杉御殿」があった場所なんだとか。御殿の前は中原街道も通り、そばにある西明寺の門前にはそれを伝える石碑もあるんですよ。
     ちなみに中原街道といえば江戸城虎ノ門から平塚までを結ぶ街道で、ドライバーさんなら車で利用したことがある方もいらっしゃるでしょう。東海道が整備される前はその中原街道が天下の公道であり、徳川家の将軍などは江戸に入る時や鷹狩りなどでも使った街道だったそうです。その時に将軍が休憩する御殿がこの地に作られたことから「小杉御殿町」という町名が付いたんだそうです。
     しかし東海道が整備されると、だんだん中原街道は使われなくなっていき、その影響で御殿も使用されなくなり、最終的には撤収されてしまったんだとか。なので残念ながら現在はその姿はなく、石碑だけが当時を伝えている…と、締めくくりたいところなんですが、実は当時の面影を残すものが石碑以外にもあるんで
    す!それが中原街道の「道」。小杉御殿町を通過する場所はなんと直角カーブのいわゆるカギ型(鍵型)道路になってるんです。カギ型になっているのは、防衛のために工夫された道。直線だと見通しも良いし攻めやすいですが、カギ型になっていると見通しも悪く攻めづらいという訳。加えて御殿の背後は今も流れる多摩川があり、近くには西明寺をはじめとしたお寺があって、それらが御殿の守りを固めていたんだそうです。
     現在は敵が攻め入ることはなく、車の道になっているのでドライバーさんは注意が必要ですね。でも、このカギ型の道こそが江戸時代の小杉御殿を今に伝える史跡なのかもしれませんね。

    文・写真 街角リポーター 藤田優一
    1年365日行脚(あんぎゃ)している、はぁ〜いフジタでェ〜す!!地元神奈川のことならなんでもお任せ!明るく元気なのが一番の取り柄です。街で見かけたら是非声をかけてくださいね〜♪