vol.35 川崎市の住宅地は 縄文人が暮らした海辺!?
2014/09/01 気がつけば、長かった夏も終わりを告げての9月。今年の夏、皆さんは素敵な思い出を作れましたか?ワタクシは夏前から、FМヨコハマの公式飲料、「湘南飲料」のプロデュース兼宣伝部長を行っていて、目標の10万本販売を達成!それを記念して、江ノ電の鎌倉駅構内にワタクシのイラスト広告を出してもらったのが、この夏の大きな思い出になっています。なかなか経験できないことを体験し、夏の良い思い出になりましたね。
さて、今回のミスモアネックスは、ちょっと歴史に思いを馳せる話題を。場所は、川崎市高津区にある子母口貝塚という場所。同じ川崎市内の中原区や宮前区とも近い高台にある町なんですが、ここに県の史跡にもなっている子母口貝塚があるんです。皆さんは、ご存じでしたか?なんでもその昔、海は、この高津区の子母口の辺りまで入り込んでいたんだそうです。
それは、今からおよそ8100年前!縄文時代早期まで遡ります。その証拠が、この辺で生活していた人たちが食べた貝の殻を捨てた貝塚、子母口貝塚というわけなんです。この辺りの高台の下まで海が入り込み、丘の上には縄文時代の人々が生活していた村があったと考えられるんだそうです。現在、子母口貝塚は公園になっていますが、発掘調査も行われ、貝塚からは、その当時の貝や魚の骨、動物の骨なども見つかっているんだとか。
それにしても、高台の貝塚公園の所から周りを見れば、当然、海岸線はなく、見えるのは高層ビル群や、遠くに東京スカイツリーなど。でも、園内の滑り台やブランコの下に、そんな歴史ロマンが眠っているなんて、ちょっとワクワクしませんか?公園内には子母口貝塚の説明や貝層剥離標本もあるので、縄文時代に思いを馳せてみるのもいいかもしれませんよ。ちなみに、発掘された貝は、ヤマトシジミやハマグリ。魚の骨は、スズキやクロダイなど、とのこと。昔の人も食通だったのでしょうか?
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