第9回 心に焼きついたモーレア島の日没

2008/12/21

100日間の航海も残り1週間を切り、いよいよ帰国間近となりました。日付変更線を通過、6度目の赤道通過を経て、明後日グアム寄港、5月4日横浜に戻る予定です。日本との時差も1時間となりました。月並みな言い方ですが、過ぎてみると長かった100日とも、あっという間だったとも言えるような気もしています。それにしても、ここまでは本当に「揺れ」の少ない航海でした。船長が毎朝、8時50分から10分ほど、本日の航路、気象、見える島や陸地、海の深さ、波高、等の放送があるのですが、それにより、行く先の気象の悪い所は迂回する等の配慮があるのと、舷側に装備されたフィンスタビライザーのお陰なのでしょう。

■タヒチ島‥‥イースター島を後に北上を続け、タヒチに寄港、絵を趣味としている私は大いに期待と興味を持っていたのですが、やや裏切られ、ゴーギャンが移住までした島の魅力には触れられずじまいでした。ゴーギャン博物館も貧相なもので、絵は全部複製、タヒチアン美女も見かけませんでした。

■モーレア島・ラボラ島‥‥タヒチ島の向かいにあり、奇怪な形の山(映画南太平洋のバリハイで有名になった)が聳え、夕刻、沖に投錨してみた日没の風景は、この航海で初めての美しさで、私はその夜早速、イメージの薄れぬうちに、数枚のスケッチにまとめました。ボラボラ島は典型的な環礁を持った珊瑚礁の島で、その環礁の一つの無人島でシュノーケリングをしたのですが、「ラグナリウム」(ラグーンとアクアリウムの合成語)と称して、ビーチ沿いの海中を網で囲い、中に熱帯魚、ウミガメ、鮫(安全な)、マンタ、等が放たれているのをシュノーケリングで覗いたり、カメを抱いたり、マンタがヌルヌルの腹を足に擦り付けてきたりという面白さはあっても、やはり本物の自然ではなく、がっかりで、インド洋のモルジブでの海中の美しさは忘れられません。

■サモア‥‥寄港したものの、私は初めて風邪で微熱が出てキャビンで寝て過ごしてしまいました。

■「飛鳥カルチャースクール」の成果発表会‥‥客を飽きさせまいと、毎日毎日あれこれと、イベント、講座、講演会、その他客同士のさまざまな同好会が開かれてきましたが、それらの総纏めの時期になりました。スポーツ系では決勝会、芸術系では発表会等です。私が目に見える大きな成果と云えると思うのは、パソコンと社交ダンスです。パソコンは全く初めての高齢の方が、何名かは、一本指ながらもEメールのやりとりを出来るようになりました。

■飛鳥芸術祭‥‥名前は大袈裟ですが、会議室を使った展覧会で、この航海中の船客の作品を、絵画、写真、俳画、手芸等を並べたもので、私は上記夕映えのスケッチとケニヤのマサイマラの大草原のスケッチ、計6点を出品しました。

■社交ダンス発表会‥‥非常に御熱心で、教え方の上手い先生の御夫婦が乗船しておられて、毎日午前午後各45分、初心者、入門クラスと、初級中級クラスに分けてワルツ、タンゴ、ルンバ、チャチャ、サンバ等々と教えて来られ、生徒の方も落ち零れが比較的少なく、各クラス、常時女性40名男性30名ぐらいが、全く初めてだった人も一応踊れるようになり、発表会で、フォーメーションをやることになりました。ワルツA、B。タンゴA、B。ルンバの計5組、各5〜6カップルの構成です。
出演は自己申告で、私達夫婦はタンゴB(難しい方)に立候補。チームの世話役を押し付けられたので、練習の目標、テーマを「美しく決める」として、約10日間、猛練習。一昨日の発表会の結果は、幸い好評でした。これも、一つの思い出作りとなりました。

講師さまざま
さまざまな分野の講師が登場し、かなりの有名人もおられるのですが、ほぼ終りに近づいた今、振り返ってみると、一番感銘の深い話をされたのは、ミュンヘン オリンピック男子バレーボールで金メダルの日本監督松平康隆氏で、さすが、御自身で体験した経験を基にした、幾つかのエピソードは、又、後日ご披露する機会が有ればと思います。

私が全く未知だった方では、篠遠喜彦という考古学者で、ハワイからニュージーランドの間に広がる太平洋の無数の島々の古代からの人類の足跡を、遺跡の発掘で実証しつつ年代を明らかにして来られた、着眼と手法です。この地域には、「土器」が無く、縄文、弥生の如く、形状や、模様で年代を解明する方法が無かったのを、各遺跡から出土する「釣り針」に着目したのです。材料、形状を追求して行くと、年代や民族の移動経路も読めてくるようになったのです。此の方の半生はまさに「小説より奇なり」です。
まだまだ、挙げたい方もいますが、後日ご紹介できればと、思います。

■63,000km‥‥今回の飛鳥の世界一周は、全行程63412kmとなる予定だそうで、これは赤道一周約40070kmの1.5倍となります。1996年の第1回世界一周から、毎年、スエズ運河を通ってヨーロッパに廻っていた航路は52000〜59000kmだったのですが、今回は南北への移動が大きくて、このような大航海となりました。赤道を横断する事6回(インド洋で北→南、大西洋で南→北、アマゾン河で北→南・南→北、太平洋で北→南・南→北です)。自然と秘境がテーマの今回のクルーズは、ほぼ、我々の期待を満たしてくれたと言えるでしょう。
私の拙い記録のメールにお付き合い下さった皆様、どうも有難うございました。メールの内容は、私自身の感動、発見、をそのまま表現するように心がけましたので、間違い、勘違いも多々有るかもしれませんが、その点はどうぞご容赦下さい。

つづく