終着駅 〜ローカル線の旅〜
フォトライター、杉﨑行恭さんのローカル線の旅紀行。関東一円の終着駅を訪ねる。
第1回 上総亀山(かずさかめやま)駅
千葉県君津市・JR久留里線「上総亀山(かずさかめやま)」駅 いきなり戦争の話で恐縮だが、あの第二次世界大戦は多くの終着駅を作った。 地方に鉄道が盛んに建設されるようになったのが昭和初期のこと。これが戦争のために工事が軒並み中断され、本来はもっと延びるはずだった路線が津々浦々で断ち切られたのだ。 木更津駅から首都圏でも珍しくなったディーゼルカーが、床下からドドドドとエンジン音を響かせ
第2回 間藤(まとう)駅
栃木県日光市・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線「間藤(まとう)駅」 わたらせ渓谷鐵道の車両は深い赤銅(しゃくどう)色に塗られている。 地元ではこれを「あかがね色」と呼ぶ。「あかがね」とはつまり銅のことだ。国鉄足尾線を引き継いだ第三セクターのわたらせ渓谷鐵道は、かつて足尾銅山から銅鉱石を運び出した歴史にちなんで、ほとんどの車両がこの色に統一されている。 桐生から北上する路線はつねに渡良瀬
第3回 三峰口(みつみねぐち)駅
埼玉県秩父市・秩父鉄道秩父本線「三峰口(みつみねぐち)」駅 電車のモーター音がひときわ大きくなり、線路は左右にカーブを繰り返していく。 荒川に沿って走ってきた秩父鉄道はこの地方の中心地、秩父市街を通り過ぎると、河岸段丘のわずかな平地をたどるように進んでいく。浦山口駅、武州日野駅と山里の駅を通過するごとに風景は険しくなる。やがて奥秩父の山塊が立ちはだかり「もはやこれまで」というところに終着、三峰
第4回 阿字ヶ浦(あじがうら)駅
茨城県ひたちなか市・ひたちなか海浜鉄道湊線「阿字ヶ浦(あじがうら)」駅 「湊線」 茨城県の勝田から阿字ヶ浦までを結ぶ鉄道はそう呼ばれていた。かつて水戸郊外の港町、那珂湊の旦那衆が内陸を通過した鉄道と連絡するために線路を建設し、その路線に那珂湊から「湊」の一文字をつけて湊鉄道とした。 それから幾星霜、湊鉄道はやがて茨城交通湊線となり、昨年からは第三セクター鉄道ひたちなか海浜鉄道湊線になったのだ。 な
第6回 奥多摩(おくたま)駅
東京都西多摩郡奥多摩町・JR青梅線「奥多摩(おくたま)」駅 高校時代の地理の時間。関東の西に「秩父古生層」という分厚い地層があって、「大昔は海底にあった地層が隆起して、豊富な石灰石を産する山脈になった」と習った記憶がある。 東京の西に線路を延ばす青梅線も、その石灰石を求めて山に分け入った鉄道だ。 日清戦争があった明治27(1894)年、早くも立川〜青梅間に軽便鉄道が開通し、やがて日向和田駅、御
第5回 海芝浦(うみしばうら)駅
横浜市鶴見区・JR鶴見線「海芝浦(うみしばうら)」駅 鶴見駅の鶴見線ホームは京浜東北線から改札口を通ったところにある。なんとも古びた高架上にある乗り場だが、頭端式ホームは起点駅の風格を見せている。ただし、全体にJRとは別規格のこぢんまりとした感じが「元私鉄」らしさを醸し出している。 京浜工業地帯に路線網を持つJR鶴見線は大正15(1926)年に鶴見臨港鉄道として開業し、昭和18(1943)年に
第7回 岳南江尾(がくなんえのお)駅
静岡県富士市・岳南鉄道「岳南江尾(がくなんえのお)」駅 岳南鉄道は東海道線の吉原駅から富士山にむかって走る、全長9・2kmの小私鉄だ。 一帯は製紙工業が盛んな所で、この鉄道も工場に原料や製品を輸送する目的で昭和11(1936)年に線路が設けられ、昭和28(1953)年には終着の岳南江尾駅まで伸びた。 吉原駅に待っていた電車はどこかで見たことがあるな…と思ったら以前、井ノ頭線を走っていた京王
第8回 下仁田(しもにた)駅
群馬県甘楽郡下仁田町・上信電鉄上信線「下仁田(しもにた)」駅 上信電鉄は果敢な鉄道だと思う。何しろ上州と信州を結ぶ目的で社名を「上信」としたのだから。そう思っていたら、ある鉄道史家から「かつては鉄道を設立するときに大きな社名をつけて、出資者を募るのが普通だった」と聞いた。 この上信電鉄も明治30(1897)年の高崎〜下仁田間開業時は上野鉄道という名前だったとか。当時は地元の養蚕農家が資本金を出し
第9回 河口湖(かわぐちこ)駅
山梨県南都留郡富士河口湖町・富士急行河口湖線「河口湖(かわぐちこ)」駅 富士急行は文字通り富士山に向かって走る鉄道だ。 深い谷間にある大月駅を出た電車の窓に富士山が見えてくるのは、路線の半分を過ぎた三つ峠駅付近から。始めは家の間にちらっと姿を現した富士山が走るにつれて次第に大きくなり、最後は窓いっぱいになる。それがこの鉄道の魅力だ。 そんな富士急行も、歴史をたどると中央本線が大月まで開通した明